日本の祭りレポート
みくまのじんじゃたいさい
この祭りの起源は、遠州横須賀藩主の家臣が江戸の天下祭の屋台の様式と囃子をこの地に持ち込んだとされます。屋台を曳く掛け声は“した した した”。これは参勤交代の“したに~したに”が訛ったもの。衣装は江戸の火消し装束。東海道沿いの祭りには東京に消えかかった江戸文化が残っているものが多くあります。大川の洪水で大名行列や旅人が長逗留し、そこに江戸文化が着床したのです。ここでは屋台を「祢里(ねり)」といいます。文字通り、それは凄まじいうねりをなす圧倒的な祭りのチカラ。屋台を曳く若者らは元気に泥酔状態。そこに神輿が。彼らは素早く道路わきに一列正座。手を膝に揃え、静かに頭を垂れます。桜もふぶき、ああ日本の祭りここにあり。
【取材・文:苦田秀雄】