日本の祭りレポート
いざくたいこおどり
祭りは応永3年(1396)、伊作島津家4代島津久義公が二階堂行貞との戦に勝利したときの歓喜の踊りが起源とされます。神社の参道の向うから矢旗を背負った「伊作太鼓踊」26人の一団がやってきます。彼らは長老たちの唄にあわせて一斉に太鼓を打ち、堂々の行進。その音はひとつ!これぞ薩摩男児! 南方神社での奉納演舞が終わり、一団は神社を後にして2日間にわたって集落の40か所で演舞を行います。彼らの肩にかかるのは1キロもの重装備。締めくくりは夜8時、自分の地区に帰ってからの踊りです。地区の人々が温かく迎えてくれるその前で、彼らは最後の力を振り絞ります。その顔は感動と達成感の涙でくしゃくしゃ。
【取材・文:苦田秀雄】
毎年8月28日吹上の6地区の保存会が交代で踊りを南方神社に奉納します。その後、約40カ所を廻り地域の人々に披露されます。起源は1406年、伊作島津家4代城主・久義が二階堂行貞を降伏させた時に考案されたといわれています。腹の底まで響く太鼓の音と軍配形の矢旗が、戦場の武士を彷彿させ、戦勝の踊りと伝えられています。
※出典:ダイドーグループ日本の祭り