日本の祭りレポート
ひょうげまつり
「ひょうげる」とはこの地方の方言で「おどける」のこと。行けば顔に様々な化粧を施し、ユニークな着物姿の人たちが祭りの始まりを待っています。祭りは単に面白おかしく仮装して踊るのかと思いきや、そこには深いドラマが隠されていたのです。
古来この地方は旱魃で悩まされてきました。とくに浅野地区は土地の高低差が大きく、せっかくの降雨がすぐ瀬戸内海に注いでしまうのです。そこで高松藩の下級武士だった矢延平六はここに灌漑用のため池をつくって旱魃を防ごうと尽力。それを知った平六をよく思わない藩のある人が「矢延は高松城の水攻めをたくらんでいる」との讒言を流します。平六は阿波国に追放。この祭りは彼の遺徳を偲んで行われるものなのです。当時その遺徳を大っぴらに口にできない時代だったため、このようにひょうげた格好で新池神社の祭礼に奉納されています。神幸の神具は農作物や家庭用品で作られたもので、彼らの格好はまるで小学校の仮装行列の雰囲気。浅野地区集落研修センターから新池の池宮までのおよそ2キロの行進は面白おかしくもあり、延々と平六の遺徳に感謝する人々の真摯な思いありの祭りでした。
取材・文:苦田秀雄
江戸時代に水不足解消を願い始まった祭り。色鮮やかで、ユニークな表情の化粧をした人々が約2キロの道のりをおどけながら練り歩き、神輿に使われる神具や供侍の衣装が稲わらや野菜などで作られていることが特徴です。行列は最後、神輿とともに池に飛び込んで豪快に豊作を祈願する、笑顔いっぱいの祭りです。
※出典:ダイドーグループ日本の祭り