日本の祭りレポート
ほうれつじんじゃのだきゅう
打毬は紀元前6世紀ごろ、狩猟の技を磨くため中央アジアあたりに生まれたとされます。それが日本に伝わり、平安時代には宮中の端午の節会の年中行事となります。しかし明治に入って馬術は西洋移入のものが主流となり、いまやこの古式騎馬打毬はここと宮内庁、青森県八戸市の長者山新羅神社に残るのみ。豊烈神社の方法は2組に分かれたチームが馬に乗って先端に小さな網袋のついた毬杖で地面の毬をすくい取り、ゴールの小さな穴に投げ入れる競技です。これは山形藩最後の家老だった水野元宣が戊辰戦争で自らの命と引き換えに山形を戦火から救ったことの恩を忘れまいと例大祭で奉納されるようになったもの。
【取材・文:苦田秀雄】
江戸時代、山形を治めた水野家の祖先忠元公の命日10月6日に、山形市の豊烈神社に奉納される神事。6騎の騎馬が紅白に分かれ、紅組は赤い毬を、白組は白い毬を馬上から網の付いた杖ですくい上げ、毬門の的穴に投げ入れます。5個の毬を入れた後、あげ毬と呼ばれる十文字印の毬を早く入れたほうが勝ちとなります。