無む生しょう野のの大念仏大念仏の起源は平安末期で︑ぱらい﹂だ︒病人に扮した人がそれは人びとが一堂に会し︑踊う仏事である﹁︒無生野の大念仏﹂は宗教儀式から芸能への変化の過程を残す貴重な仏教芸能だ︒激しく打ち鳴らされる太鼓と鉦︒一斉に唱えられる経文︒白装束の人びとが剣を手に裸足で踊る︒それは修験道の祓いの儀式の影響を感じるもので︑この景色︑もしかしたら死後の世界か︒﹁雛鶴無姫生の野悲の劇大伝念説に仏あ﹂るの︒由彼来女はの夫の護良夫の首を手に鎌倉街道をぬけてこの地にたどり着き︑ここで体調を崩して幼子ともども落命︒これはその悲劇を忘れまいとする地域の人びとの優しい想いからはじめられたものである︒儀式﹁は一本太刀﹁︑﹂二本太刀﹂布団に寝かされる︒その上を太鼓などを手にした3人がまたぎ︑飛び越え︑祈祷を授け︑病を快癒させる︒ここは山梨県最東端の山のなか︑無生野集落︒それは雛鶴姫の悲劇があまりにも名がついたといわれる︒重稀山梨県死後の世界を垣間みた28歳で非業の死をとげる︒姫はぶっぱらい(撮影/高橋正仁)113実施日/8月16日(冬の実施日は旧暦1月16日)場所/山梨県上野原市秋山地区無生野集会所電話/0554-62-3409(上野原市教育委員会社会教育課)交通/JR「上野原」駅下車→路線バス・中央自動車道「上野原」IC55非精幽
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