鹿かね子こ原はらの虫送り踊りかつて虫送りの風習は全国にでこのような原型を残すものは稀少︒古来︑稲を荒らす害虫は音に反応して採りものにつくとされた︒人びとは太鼓や笛︑鉦などを鳴らしながら行列で集落をまわる︒採りものや︑まじないを書いた短冊などに害虫を集める行為である︒集めた害虫は燃やすか︑川に流すか︑村境に捨てて祭りは終わる︒このような習俗を鎮送呪術という︒村境から先は他界︒捨てて見えなするのが当時の考え︒一行は三穂両神社での神事を済ませ︑行列をなしてあぜ道を進む︒夢をみているような光景だ︒そしてで最後の踊りをし︑採りものを燃やして解散︒この行列で目立つのは藁人形の武者だ︒それは平氏の武将・斎藤別当実盛であ切り株につまづき︑捕らえられ言い残し︑落命︒その慰霊がこの実盛人形なのである︒これも消えてはならない日本の原像だ︒実施日/7月20日場所/島根県邑智郡邑南町矢上三穂両神社・諏訪神社〜町内電話/0855-95-2369(邑南町観光協会)交通/浜田自動車道「瑞穂」IC農民は田を命としてきた︒だかねばならない大切なもの﹁︒たわけ者﹂の語源﹁は他人に田をわけ与える﹂馬鹿者のこと︒る︒源氏に追われた実盛は稲の島根県島根の山懐の田園夢劇場撮影/芳賀日向949437精映疎害虫駆除
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