2022年4月28日

信玄原(しんげんばら)の火おんどり

取材・文

日本の祭り研究所 所長
NPO日本の祭りネットワーク副理事長
苦田 秀雄

慰霊は永遠に

天正3年(1575)、日本の歴史の分岐点となる「長篠・設楽原の戦」が勃発。武田信玄の庶子である武田勝頼(30)軍1万5千人、織田信長(42)・徳川家康(33)連合軍3万8千人の戦です。場所はこの祭りのある愛知県長篠設楽原。結果連合軍の大勝で、武田軍の死者1万人に対して連合軍は5千人。戦国一の武将を破った信長はここからまっしぐらに天下人としての道を進むのです。
戦が終わり、郷里を離れていた村びとが帰郷し、彼らが目にしたのは累々たる戦死者の山。人々は「信玄塚」を設け、敵味方なく死骸を葬ります。数年後、この塚から大量のスズメバチが発生。これは武田軍の戦死者の祟りだ、ということで松明を燃やして蜂を焼き払ったのがこの祭りのはじまりとか。祭り人たちは松明を8の字にまわして火の粉を飛び散らせます。

実施日/8月15日
場所/愛知県新城市竹広字信玄原
電話/0536-22-0673(新城市教育部生涯共育課信楽原歴史資料館)
交通/JR飯田線「三河東郷」駅下車 新東名高速道路「新城」IC
写真/下郷和郎

※変更になる場合もございますので、お出かけの際は事前にご確認ください。

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