2022年4月28日

しれとこ斜里(しゃり)ねぷた

取材・文

日本の祭り研究所 所長
NPO日本の祭りネットワーク副理事長
苦田 秀雄

日本を守った無名の人々

江戸末期、ロシアは日本との通商を希望して様々なアプローチを繰りかえしました。が、幕府の態度が煮え切らないためロシアは択捉(えとろふ)に侵攻。幕府は東北の各藩に警備を命令します。そこで津軽藩が斜里へ。斜里は弘前よりもはるかに寒い極寒の地。結果、藩士100名のうち72名が寒さとビタミンCの欠乏による壊血病で落命。この史実は戦わずして死んだ恥、ということで闇に葬られます。しかし生還者のひとり斎藤勝利が記した和綴「松前詰合日記」が北海道大学の高倉新一郎教授によって発見され、はじめて真実が明らかに。それにより斜里に津軽藩士殉難慰霊碑が建立。さらに斜里の人たちは門外不出の「弘前ねぷた」を斜里でもと懇願。結果、藩士らの霊を弔う意味で「しれとこ斜里ねぷた」が北の大地に誕生したのです。

実施日/7月16日~17日
場所/北海道斜里町本町周辺
電話/0152-23-3131(斜里町役場総務部企画総務課総務係)
交通/JR釧網本線「知床斜里」駅下車

※変更になる場合もございますので、お出かけの際は事前にご確認ください。

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